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第48回 パブリックデザイン「橋」を歩く

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隅田川の永代橋、清洲橋、勝鬨橋は東京湾の河口近くに架かり、国の重要文化財に指定された建造物です。今回はパブリックデザインとしての橋を紹介します。

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スカイツリーから眺めた清州橋と永代橋

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永代橋

弧を重ねると一つの円に

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清州橋

永代橋と清洲橋は、関東大震災の復興橋梁です。架橋時、二つは隣合わせにあったため、ペア橋として計画されました。約180㍍に及ぶ長橋に適した構造と周辺の土地の高さなどが考慮されたデザインになっています。永代橋は今は高層ビルに囲まれていますが、当時は海。雄大な景色に合うように、下路式アーチ型が選ばれました。他方、清洲橋は周辺が静寂であったことから、女性的な外観の吊り橋に。アーチと吊り橋、それぞれの弧の部分を重ねると、一つの円になるデザインです。
軍艦用に開発された高級鋼材「デュコール鋼」が使われている点も共通しています。鋼鉄の1.5倍の強度を持つデュコール鋼だからこそ大きい張力を支えられ、特徴あるデザインになりました。デュコール鋼を使った橋は、世界でもこの二橋だけです。
橋脚にも、90年にわたって使われてきた秘密があります。橋脚に貼られているのは御影石です。流木などから防護し、塩分が橋脚内部のコンクリートに浸透するのを防いでいます。
デザイン面は、永代橋は装飾性を持たないモダニズム様式です。清州橋は当時、世界一美しいと言われたドイツ・ケルンの吊り橋を模しました。ケルンの吊り橋は第二次世界大戦で破壊され、世界一美しい橋を見られるのはここだけと言われています。

時代を映す跳ね橋

1940年、勝鬨橋が架けられるまで、築地と月島は渡し舟で結ばれていました。白い二つのアーチから成る橋は、70年までは「ハ」の字型に中央が開く「跳ね橋」としても有名でした。橋上には、趣のある四つの小屋が残っています。各小屋は橋を開くための「見張り」「機械」「宿泊」「倉庫」の役割を果たしていました。小屋の下のトンネルを通ると、ノスタルジックな味わいがあります。
勝鬨橋が可動橋となったのは、舟運が少なかったからです。多ければ高架橋になっていました。橋のたもとの「かちどき橋の資料館」(※)で、構造と歴史を学べます。
    

勝鬨橋の小屋

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勝鬨橋のリベット

三橋とも鋼板を接合する方法として、「リベット」が使われています。この無数の突起物がデザイン性を高め、遠目にも風格を与えています。
橋を渡る時は、たもとにも着目してください。小さな空間に「橋詰広場」が広がります。公園やトイレ、防火倉庫などが置かれています。使い勝手まで考えられ、パブリックデザインたるゆえんの一つです。
橋がこれほど長く使われているのは、当時の技術者たちの先見の明によるものです。価格が高くても安全で良い鋼材を使い、考え抜かれたデザインは後世の我々の目を楽しませてくれます。来年には、清洲橋の橋灯などが建設時の姿に戻る予定です。

江戸時代の橋文化を体感

さて、散策にお勧めなのが、清洲橋から遊歩道「隅田川テラス」を歩いて江戸東京博物館を目指すコース。隅田川テラスは一部未完成ですが、潮風が頬をなで、様々な形の橋を眺めるウォーキングを楽しめます。
江戸東京博物館の常設展示室の入り口には、19世紀前半の日本橋の半分を復元した木製の橋が架けられています。橋脚が今と比べて格段に多かったことが分かります。
火消し、手のこぶしサイズの巨大握りずしなど江戸文化を見ながら、両国橋の橋詰広場の模型へ。1500体もの人形が、江戸の町を闊歩しています。橋詰広場は、見世物小屋や食べ物の屋台などで大変にぎわった広小路です。人と荷を運んだ川、往来のあった橋には、江戸時代の人々の暮らしの要所であった風景が広がります。
※かちどき橋の資料館関連リンク(外部サイトへリンク)
(取材協力=東京都建設局橋梁構造専門課長・紅林章央氏)

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江戸東京博物館の橋詰広場の模型

更新日:2017年4月27日

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