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第19回 中村屋サロン美術館(太田美喜子学芸員)

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荻原守衛(碌山)《女》 ブロンズ / 荻原守衛(碌山)《坑夫》 ブロンズ

中村屋サロン美術館「女」「坑夫」

新宿の食品会社に現れたサロン

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長尾杢太郎《亀戸風景》個人蔵

中村屋は、1901年に創業した老舗の食品会社です。創業当時は東京の本郷にあった本店を1909年に新宿に移し、以来その「新宿中村屋本店」を拠点に発展してきました。この頃の新宿は、今のような“都心”のイメージとは程遠いのどかな街でしたが、創業者の相馬愛蔵は市電の終点であった点に注目し、これから栄えると見込んでこの場所を選んだと言われています。愛蔵と妻の黒光が共に芸術に深い理解を示していたことから、明治末から昭和初期にかけての新宿中村屋本店は、多くの芸術家が集う場所ともなりました。その様子は後にヨーロッパのサロンに喩えられ、「中村屋サロン」と呼ばれるようになっていきます。

中村屋サロンを考える上で最も重要なのが、相馬夫妻と同じ長野県安曇野市出身の彫刻家、荻原守衛(碌山)です。日本の近代彫刻界に新たな風を吹かせた碌山がそもそも芸術家を志したのは、故郷にいた頃の相馬夫妻との交流がきっかけでした。夫妻の家には黒光が嫁入り道具として持参した長尾杢太郎の《亀戸風景》があり、初めて油彩画を目にした碌山は、これに大きな感銘を受けたのです。碌山が留学生活を終えて帰国した頃、夫妻は既に新宿に支店を出しており、碌山はすぐ近くにアトリエを構えます。相馬一家との家族同然の付き合いの中で、碌山は《女》や《坑夫》といった傑作を生み出していきました。

サロンがあった場所に美術館が誕生

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中村彝《小女》1914年

碌山は帰国からわずか2年後の1910年、30歳の若さでこの世を去りますが、その頃には既に、多くの芸術家が碌山を慕って新宿中村屋本店に集まっていました。碌山が友人らのために中村屋の敷地内に開いたアトリエには、1911年から中村彝が住み、碌山亡き後の中村屋サロンの中心人物となっていきます。彝も碌山同様、相馬一家と家族のように親しく付き合い、そして長女の俊子との結婚を望んでいました。その思いが実ることはありませんでしたが、彝が俊子を描いた《小女》からは、ふたりの親密な距離感が伝わってきます。

今年10月、中村屋は新宿中村屋本店を建て替え、同じ場所に商業ビル「新宿中村屋ビル」を開業しました。3階には新たに「中村屋サロン美術館」を開館し、中村屋サロンの芸術家たちの作品を中心に展観しています。現在開催中の開館記念特別展「中村屋サロン─ここで生まれた、ここから生まれた─」(2015年2月15日まで)では、ご紹介した《女》《坑夫》《小女》に加え、高村光太郎の《自画像》などもご覧になれます。小さなスペースではありますが、ビル内のレストランで食事をするついでにでも立ち寄っていただければ、当時の芸術家たちの息吹を感じていただけることと思います。

Information

中村屋サロン美術館
所在地   〒160-0022 東京都新宿区新宿3-26-13新宿中村屋ビル3階
TEL   03-5362-7508
開館時間  10:30~19:00 ※入館は18:40まで
休館日   火曜日(祝日の場合は翌日)、1月1日
入館料   300円(高校生以下、障害者手帳をお持ちの方と同伴者1名は無料)

おすすめミュージアムグッズ

■A4クリアファイル
荻原守衛(碌山)の《女》がモチーフのクリアファイル。裏面にはシルエットが無数にプリントされ、その中にひとつだけ同じ碌山の《坑夫》が紛れているという、遊び心のある一品です。
▼¥250(税込)

■しおり4枚セット
中村彝《小女》、荻原守衛(碌山)《坑夫》、中村彝《麦藁帽子の自画像》、高村光太郎《自画像》(左から)という人物モチーフの4点セット。本にさしても、目から上は隠れない作りになっています。
▼¥600(税込)

更新日:2014年11月25日

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